frenchtoastsanのブログ

慶應生のひとりごと

就活14 就活と死について

 たかが就活、されど就活。

 

 そんなことは百も承知なわけです。

 

 しかし、(比喩ではなく)毎日毎日いろんな企業から「お前はいらない」と書かれたメールを送られれば、自分は社会から必要とされていないんじゃないか、ということぐらいは考えます。

 

 「落とされたからと言って、人格を否定されているわけじゃない」なんて甘い言説もありますが、果たしてそうでしょうか。少なくとも人格に関わる部分は否定しているわけですよね。

 

 あまりにも落とされると、「就活 自殺」で検索したりします。そうすると、悲しいエピソードが見つかります。単純に、嫌だなあと思います。

 

 第三者的な視点では、「就活なんかで死ぬなんて…」と自分だって思います。しかし、数日連続で「お前はいらない」と言われる立場になると、「死にたくなる気持ちも他人事ではない」と思います。

 

 受験に失敗したり、スポーツで活躍できなかったりと、多くの挫折がありました。それでも、いろいろな人を見返したいと思いここまで頑張ってきたのです。

 

 でも、「見返す」って一体なんなのでしょう。みんなの憧れるような企業に就職しても過労死してしまう人もいます。就活には不正が当たり前のように蔓延っています。

 

 そんな世の中で成功を求めても無駄なんじゃないかと思います。「こんな世の中、さっさと見切りをつけたほうがいいんじゃないか」と考えたことは一度や二度ではありません。

 

 自殺をした人は天国には行けない、と言われています。誰も死んだことがないので、それは本当かどうか分かりません。だけど、親を悲しませたりするのは確かでしょう。

 

 死んだ方がマシだと思うことは今までたくさんありました。虐めのようなものにあっていた時は、今よりも辛かったと思います。それでも、親のことを考えると死ぬわけにはいかないと思います。

 

 死ぬのは全く個人的なことではありませんから、なんとか生きているのです。自分が死ぬようなことがあれば、親はきっと廃人みたいになってしまうと思います。罵られることは多いけれど、それでも少なくとも両親からは人並みには愛されているんじゃないかと思います。

 

 だから辛くなった時には、文章を書き溜めることでなんとか堪えています。

 

 何を言いたいのかよく分からなくなってしまったけれど、就活なんてクソみたいなシステムに自分も、他の就活生も殺されるべきじゃないんです。

 

 進学校から慶應に行ったのは挫折でした。だから、同級生とは顔を合わせたくないと思う気持ちもないではないのです。新卒というカードを捨てて、フリーターになったら、世間的にはこれもまた、挫折なのかもしれません。同期とはあまり会わなくなるかもしれない。でも、もうなんでもいいや、と思います。自分さえ幸せなら薄っぺらい世間体なんか、きっと本当はどうでもいい。

 

 そう言い聞かせて、今日も前に進みます。

 

 このブログが、誰かの目に留まりますように。

 

 では、また。